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herrlichtの日記

フリーランスの企画職を目指す、今は単なるノンスキル会社員の日記

創業メンバーの選び方

こんにちわ、herrlichtです。

本日のエントリは、新しいビジネスを立ち上げる際に、どのような視点で創業メンバーを選べば良いか、についてです。

まず大前提として

「自分のビジネスを持つこと」自体が目的である人は、そもそも全てのプロセスを自分一人で担えるようなビジネスを組み上げることを目指すべきです。
このブログでも何度か言及していますが、人件費は強烈に重いコストなので、一人メンバーに加えるごとに、「ペイするビジネス」の弾数は指数関数的に減少していきます。
よって、創業メンバーとしてどのような人を引き込むべきか考える前に、どのようにすれば自分一人で回していけるビジネスを構築できるかに思考リソースを割くべきです。

一方、「コレはイケる/コレをやりたい」と思えるビジネスアイデアを既に持っており、「自分のビジネスを持つこと」はあくまでアイデアを実現するための手段であるという人にとっては、そのアイデアが自分一人では到底実現し得ない場合も当然にあり得ます。そのような場合は、素直に仲間を募って、役割分担をするしかありません。

本日のエントリは、後者の人向けのエントリということになります。

さて、ある人を創業メンバーとして招き入れるべきか否かの判断は、私は以下の必要十分条件を満たしているかどうかを基準として行うことにしています。

必要条件:新規ビジネスに対し当事者意識を持ってくれる人であること

新しいことを始める時は誰だって不安です。そんな時にパートナーを探すとなると、頼りがいがあって高潔な、およそ人間関係のトラブルを引き起こしそうにない人格者を求めたくなるわけです。しかし、結局のところ自分の周囲には自分と近しいレベルの人間しかいないので、自分自身を顧みればそう高望みをするのも無茶というものです。
とはいえ、個人的に唯一絶対的に重視すべきだと思っている点がありまして、それは「これから始めるビジネスに対し当事者意識を持ってくれる人かどうか」という点です。
新規ビジネス開発の現場は山あり谷あり、どんな問題が現れても、それら全てを数少ないメンバーで力を合わせて解決していく姿勢が重要になります。役割分担はビジネスを効率的/効果的に進めていくために確かに重要ではあるのですが、かといって創業メンバーが各々の役割に拘泥しているようでは、迫りくる問題を乗り越えていくことはできません。
問題に直面した時、当事者意識の薄い人間は、「その問題は俺のテリトリーのものじゃない」とか「だから俺は前に反対したんだ」などと、評論家めいたことを言い出します。そういう人間と組んでしまうと、どこかでメンバー間の関係性が瓦解する日がくることになります。
この「当事者意識を持てるかどうか」は、報酬等インセンティブ設計の問題ももちろんあるんですが、究極的にはその人の性根に根差した、れっきとした能力であると考えています。この能力に欠けている人は、他にどんな突出した能力があったとしても、創業メンバーとしては不適格だと考えています。

十分条件:自らに不足しており、かつ新規ビジネス開発/運営に必須な具体的スキルを有していること

上にも書きましたが、自分が立ち上げようとするビジネスにメンバーを招き入れる目的は、ひとえに目標の達成に向けた役割分担をするためです。
適切な役割分担をするためにも、そもそも新しいビジネスを始めるにあたって必要となる機能がどのようなものなのか、ということは、しっかりと把握しておく必要があります。
とはいうものの、ビジネスの形態にも様々なものがあり、それら全てを網羅するように必要機能を列挙しようとしたらキリがないのですが、それでも贅肉をそぎ落としていけば、「新規ビジネス立ち上げ/運営に必要な機能」は大きく↓の4機能に集約されると考えています。

  1. イデアを基にビジネスモデルを描く(企画機能)
  2. ビジネスモデルの核となるシステム/製品を組み上げる(エンジニアリング機能)
  3. 組み上げられたシステム/製品に魂を吹き込む(デザイン機能)
  4. 魂を吹き込まれたシステム/製品を世に送り出す(セールス機能)

これら4機能の重要性の比重は、当然ですがビジネスの形態に大きく左右されます。
自分が始めようとしているビジネスにとって、各機能がどれほどの重要性を持つのかを評価し、自分のスキルセットを見比べ、ビジネス上クリティカルであり、かつ自分には不足している部分を補ってくれる人を引き入れる、というのが、創業メンバーを選ぶ際の基本的なプロセスになります。
ただ、何度でも書きますが、人件費が極めて重いコストなので、やみくもに人を増やすことは決して勧められません。不足分をシビアに見積もったうえで、出来る限り少ない人数でその不足分を埋められるよう、八方手を尽くすべきだと思います。

なお、ここからは個人的な経験と自分の観測範囲での話になりますが、1.企画機能と2.エンジニアリング機能を軽視している人は殆どいない一方で、3.デザイン機能と4.セールス機能に関してはその重要性を過少に見積もられていることが多い気がします。
これは1.~4.が行きつ戻りつはありつつも大まかには上流~下流の関係にあって、上流工程よりも下流工程のほうが取り組むタイミングが遅い故、その必要性を軽く見積もられがち、という単純なバイアスに起因するものなのかもしれませんが、なかなか馬鹿に出来ない問題を引き起こします。
私も最初は③と④はあまり重要視していませんでした。しかし、企画とエンジニアリングを突き詰め、だんだんとビジネスが形になり始めてくると、結局ビジネス拡大のボトルネックがデザインとセールスの在り方にあることに気が付きました。
だから創業メンバーを増やしておけば良かった、と短絡的に行き着くものではないですが、少なくともスタートの時点で3.と4.の重要性を今のように認識できていれば、ビジネスモデルやシステムの設計の時点でもう少し工夫のしようがあったのかな、とも思います。

以上、つらつらと創業メンバーを選ぶ際の視点について書いてきました。
内容をまとめると

  • 当事者意識を持てない人間をメンバーに引き入れてはいけない。当事者意識を持てるかどうかは、人に紐づく具体的な能力の一つである。
  • 1.企画機能、2.エンジニアリング機能、3.デザイン機能、4.セールス機能のうち、立ち上げようとしているビジネスにとってクリティカルであり、かつ自分には不足している機能を補ってくれる人を厳選しメンバーに引き入れるべし。

ということになります。文量のわりに結論はやたらシンプルですね(笑)

それでは、また。

「都市の娯楽」の停滞感が深刻です。

こんにちわ、herrlichtです。

特に予定が無い休日は部屋で本を読むかネットサーフィンをして過ごすことが多いのですが、時にはふらりと渋谷や新宿や銀座といった街に出て、ぷらぷらと散歩することがあります。そこでよく感じることが「こんなに人を集めている場所なのに、思ったよりも楽しめることが少ないなぁ」ということです。

パッと思いつく、都市で消費できる主要な娯楽は以下のような感じでしょうか。

●「都市の娯楽」主要ラインナップ
・ショッピング
・食事
-------------大きな壁-------------
・ボーリング/ダーツ/ビリヤード
・カラオケ
・映画
・ゲームセンター
・クラブ/夜のお店

↑にあがっている面子、バブル時代の世相を少し調べてみるとわかりますが、当時とほとんど変わっていません。つまり、25年前の人々と現代の人々がそれぞれ、渋谷や新宿や銀座といった街に遊びに行って何をしているかというと、比重の差はあれど項目ベースでみるとほとんど変わっていないということです。
これ、ITを始めとした他分野のここ30年の成長と(無理やりながら)比較してみると、この停滞感はちょっと異様な感じがします。

もちろん、新しい娯楽が全く出てきていないということはありません。一瞬盛り上がってその後静かに消えていった都市娯楽は、スケートとかディスコとか、色々と存在します。
また、時間の洗礼を耐え抜き、定着した感のある都市娯楽もいくらかは存在します。例えばメイドカフェを初めとする○○カフェ(飲食ではなく、世界観を楽しむことやコミュニケーションをメインとした場)あたりは、都市娯楽界のニューフェイスといって良いと思います。
とはいえ大きな視点で見ると、ボーリング/ダーツ/ビリヤードあたりと並び称されるレベルのニューフェイスは現れていない、というのが、多くの人と共有できる認識でしょう。

この原因は、わりと明確です。
まず前提としてですが、新たな娯楽を考案して普及させようとする場合、その主体となるのは現代においてはおそらく民間企業体となるでしょう。
新たな都市娯楽の開発・普及を一つのビジネスとして捉えた場合、これは腕利きのプランナーの人件費に始まり、広告宣伝や都市内のスペース確保と、かなりの初期投資が必要になるビジネスです。
一方で、これは娯楽に限らない話ですが、一昔前に比べて何らかのメガヒットを飛ばすことのハードルは確実に上がっています。インターネットの普及を通じマスメディアの影響力が落ち、単純な広告宣伝やテレビ番組とのタイアップ企画では、大勢の人を躍らせることが難しくなりました。人々の嗜好の細分化傾向も普及の難しさに拍車をかけています。
ここに「社会の気分」にその受容性が左右されるという、「娯楽」の生来的性質が掛け合わさると、ビジネスとしての不確実性はどうしても大きなものにならざるを得ません。
これらの点から、「新しい都市娯楽を創出・普及させる」という社会課題は、民間企業体目線でいえば、解決する魅力を見出しにくい課題になってしまいました。

ただ、これを国家、もしくは地方自治体目線で捉えなおすと、なかなか頭の痛い問題です。もし何もせずに放っておいたら、おそらく20年後も30年後も、都市で消費できる娯楽は、今日のものとそう変わらないでしょう。一方でインターネットを基盤とした電脳空間はよりその娯楽性を強めていくでしょうから、人々はますます家の中で多くの時間を過ごすようになるでしょう。それは、都市の活力喪失につながります。
政府は今、カジノの誘致に積極的ですが、その姿勢を形成する一要因として、このまま手をこまねいていても、リアルに根差した新たな娯楽は出てこないだろう、という危機感もあるのだろうと思います。

現在東京では、渋谷駅周辺や品川田町間の新駅周辺などで、大規模な都市の再開発が行われています。おそらく15年後には、美しく区画整理され、意匠を凝らした高層ビルが立ち並んだ、素敵な都市に生まれ変わっていることでしょう。
ただ、いくら「都市」というハードウェアが整備されても、インストールされる「娯楽」というソフトウェアに進化が無ければ、きっと電脳空間に打ち勝ち人を集めることは出来ないでしょう。

もっとも、都市と電脳空間を二項対立的に捉えるのはミスリードな部分もあり、実際は二者がうまくコラボレートして新たな都市の魅力を形成していく、というのがありうる未来像なのかな、とも思います。「コロプラ」や「Ingress」は、将来振り返った時に、その走りだったね、と評価されるのかもしれません。
「都市を面白くしてくれる」プレイヤーがどんどん出てくるといいなぁ、と思っています。

それでは、また。

これからの時代の高コスパスキル⇒消費スキル

こんにちわ。herrlichtです。

この不確実な時代、そこまで意識が高い人でなくとも、自分のどのようなスキルをどのように向上させていくかは、気になってしまう話題の一つだと思います。誰も惨めな未来に陥りたくないですからね。
そんな不安に付け込んで、最近は著名人もメディアもブロガーも煽りに煽ってる感じです。私も個人の働き方の未来に関しては暗い論考を良くするので、煽りに加担している一味かもしれません、ごめんなさい。

でも、そうした煽りの後に、どういうスキルを身につければ良いか、という具体的な提案はあまりなされない印象があります。学ぶべきことは自分で見つけろ、的な論調が多いです。みんなそこが知りたいのだと思うのですが。
逆に広告になると「これを学べば君もイケイケ!」みたいな主張をするんですが、まぁ大抵説得力が無いというか、胡散臭いなぁという印象で終わってしまいます。

スキルアップ」という視点で世間一般を見渡すに、学習人気が安定して高いのは、語学スキル、会計スキル、ITスキルあたりでしょうか。これらのスキルは「ビジネス三種の神器」などと20年くらい前から言われていますね。最近はそれに統計スキルあたりも加わってくるのかもしれません。
確かにこのあたりのスキルは、成長の初速がそれなりに早いこともあって、3か月くらいみっちり時間をかけて中級の入り口くらいまで習得しておくと、ちゃんと投入した努力を超えてペイしてくれる感覚があります。
ただ上記4スキル、汎用性が高いスキルだけあって、達人が大量にいるジャンルなので、成長曲線が鈍化してきた後、なおスキルアップに励んでもなかなか貰いが少ないと思います。

では、上記4スキルを超える、投資対効果の高いスキルがあるのかというと...少なくとも「所得増に貢献するスキル」という視点では無いと思います。
というか、もはやこのスキルを持っていたら美味い飯にありつける、なんて時代はとっくの昔に終わっていて、だからこそスキルアップを煽る人も具体論を示さない(示せない)し、広告には説得力が無いのだろうと思います。

ここからは私見ですが、今まではあまり重視されていなかったけれど、今後ぐんぐんと重要性が増してくるスキルがあると思っています。私は「消費スキル」と呼んでいます。
「同額の可処分所得から、どれだけの幸福感を引き出すことが出来るか」を問うスキルで、更に平たく言ってしまうと、「ステキなお金の使い方」をするスキルです。

今後、投入する価値創出努力に対する可処分所得増分の期待値は、どんどん分が悪くなっていきます。これはもう、企業の競争環境の激化や技術革新スピードの加速、日本の人口構成の推移に鑑みれば、火を見るよりも明らかです。
となると、今までは如何にすれば多額の可処分所得を得られるかを考えて行動することが正しい戦略でしたが、その戦略が破綻してくるので、今後は一定額のお金の如何に上手く使うことで幸福感を得るか、正しい戦略になるのではないかと...。まぁ、社会の流れに沿った自然な発想だと思います。

問題は、「ステキなお金の使い方」って、誰も体系的には教えてくれないんですよね。「お金の稼ぎ方」の情報はこの世に溢れているというのに...。

「ステキなお金の使い方」を身に着けるためのアプローチ、やや無理やり書き下そうとすると以下のような感じでしょうか。

  1. この世界の「素敵なもの」、「面白そうなもの」の存在を片っ端からインプットする
  2. 「自分は何が好きか」、「何をしたら楽しいと感じるか」という問いに、真正面から向き合う
  3. 「好き」、「楽しい」と思える分野において、審美眼を磨いていく
  4. 人間は常に移り変わっていくので、①~③のプロセスを日常に組み込む

ただ、このステップの特に①と②、想像しているよりかなり難しい作業です。
今まで「素敵なもの」「面白そうなもの」に対してアンテナを張ってこなかった人に、それらを探せと言っても途方に暮れてしまいます。
私たちは普段心に厚化粧をして暮らしていますので、自分の純粋な欲求と向きあう、なんてことにはてんで慣れていません。試みたところで、対外的にカッコがつく欲求を見繕って、「これが自分の純粋な欲求だ」と勘違いしてしまうのが関の山かと思います。

なので本当は、主に①、②のステップを適切に補助してくれる「消費スキルカウンセラー」が必要なのです。
ただ、現段階ではそんな職は全く確立していないので、しばらくは価値観の移行期として受難の時代が続くのかな、と思います。
その後、七転八倒しながら「消費スキルの磨き方」のノウハウを蓄積した個人が徐々にweb上でカウンセラー業を開業して...というのが、望まれる未来像かな、と考えています。

そうならない気がしますが(笑)

それでは、また。

「権威」に選ばれるためのハードルは上がり続ける。凡百の一たる我々は如何に生きるべきか。

●「権威」に選ばれるためのハードルは上がり続ける。

むかし↓

そこそこの学歴を持っていて五体満足で、あまり疑問を持たずにしっかりと社風に染まってくれそうな人材が欲しい。
ただ、色々と雑務もあるので、スペックに捉われずそれなりの人手も雇用しなきゃいけない。

いま↓

地頭が良く、対人コミュニケーションに優れ、異国の地でも活躍できる語学力と心身のタフネスを持ち合わせ、ITを縦横無尽に駆使し、複数の領域において修士レベルの知識を備えたうえで、組織に対し忠誠心を持つ人材が欲しい。
小間使いの人間は派遣で調達すれば良い。

これから↓

表面上のスペックとかどうでもよいので、複雑に入り組みまくってスケールも大きく、一見どこから手を付けていいのか全く分からない超高難度の課題に正面からブツかっていって、ガンガン解決しちゃう人材が欲しい。
それ以外の人間はITやAIで全部代替するからいらない。

●凡百の一たる我々は如何に生きるべきか。

上述した「権威」が求める人材像の変遷の背景には、「権威」が直面する課題の難度が、環境の変化速度/複雑度の上昇にオーバーラップする形で指数関数的に上昇している/していく点が挙げられます。

私は現時点では「大企業」という「権威」に選ばれて雇用されていますが、既に日々直面している課題を解決するのにいっぱいいっぱいです。
これから10年後、20年後、「権威」は私たちにどんなに難しい課題を解くことを求めるようになるのか...。そんな想像を膨らませるに、とてもじゃないですが私には「権威」から求められる人材であり続ける自信がありません。
IT技術やAI技術の急速な発展に飲み込まれる形で、いつか、私という労働力は「権威」にとって不要なモノになるでしょう。

 

一方で、希望もあります。

 

一つは、「物質的な豊かさ」を達成するためのコストが、「権威」に選ばれるハードルの上昇のバーターとして、今までも、そしてこれからも急速に下がっていくであろうことです。

コンビニ飯やファミレスのメニューは、今後も価格を据え置きつつ、味と栄養価を極限まで高めていくことでしょう。
今よりもはるかに進化したガジェットが、今よりも更に廉価で使用出来るようになるでしょう。
日本に限っていえば、少子化の影響で不動産価格が暴落し、居住コストも今よりも随分と抑えられるでしょう。
現在の年収1,000万円と未来の年収300万円は、物質的な豊かさという観点から見ればきっと後者の方が豊かでしょう。

もう一つは、私たちのような一個人が、あらゆるビジネスインフラを、より容易に、より低価格で利用できるようになっていくことです。

Webページ作成サービス、決済代行サービス、会計税務といった定型業務支援サービス、アウトソーシング仲介サービス...。現時点でも相当なレベルのサービスが登場していますが、時間がたてばこれらのサービスはより洗練され、より個人に開放されていくことでしょう。

このようにな変化が、いったい何をもたらすのでしょうか。

 

これから来るどこかのタイミングで、「権威」に選んでもらう難度と、そこそこ豊かな生活が出来る程度の収入を得られるビジネスを自力で立ち上げる難度が逆転する日が来ます。


そしてそれは、そんなに遠い日であるとは思いません。

来るべきXデーに向けて出来ることは、今からマインドセットの変革と自力でビジネスを立ち上げる練習をしておくことです。

物質的な豊かさを他人との相対で捉えるのはやめましょう。
どうしても比較したいなら過去の他人と比較しましょう。私たちの方がきっと恵まれています。
地位や社会的名声に執着するのはやめましょう。そんなものは浮世のマボロシです。

「今まで明示的に捉えられていなかった小規模/低難度の課題」を社会から自力で見つけ出し、手際良く解決することで糊口を凌ぐ術を身につけましょう。
少額のお金で、最大限楽しむ方法を見出し、洗練させましょう。
料理でも服でも家具でも、自分の関心に紐づく生産スキルを磨きましょう。
「権威」に選んでもらえている間は、その庇護を最大限利用しましょう。
金銭的、心理的余裕がまだある今こそ、未来への準備は最も捗るはずです。

これから訪れる世界はユートピアではないでしょうが、きっとディストピアでもありません。

楽観的にも悲観的にもならず、まっすぐと未来を見つめて、出来ることを無理のないペースで行っていきましょう。

この世はそもそも不公平

こんにちわ。herrlichtです。

この記事、読みました。

jitensyazamurai.com

 

自転車ショップに来て、タイヤに空気を入れてもらう、パンクを修理してもらうといったサービスを提供してもらっているにもかかわらず、対価を払おうとしない人に対して憤っておられ、プロの仕事にはしっかり対価を払うべき!それをしない人は「客」ではない!と主張されています。

自転車ショップの店主さんの気持ちは、よくわかります。主張されていることは正論だとも思います。

しかし、如何に彼が怒りを露わにして、自らの正義を主張し、多くの人から賛同が得られたとしても、きっと自転車ショップをとりまく環境は何も変わらないでしょう。

何故か?

「この世は、そもそも不公平」だからです。

何故自転車ショップに訪れた人は、受けたサービスに対価を払おうとしないのでしょうか?
それは、彼/彼女自身が、もしくは両親が、友人が、今まで自転車ショップのサービスに対し対価を支払ってこなかったからです。換言すれば、社会に自転車ショップのサービスに対し対価を支払うというコンセンサスが成立していないからです。

では何故、対価を支払うというコンセンサスが成立していないのでしょうか?
それは、彼ら自転車ショップ自身が、今までサービスを受けた人に対して、対価を請求してこなかったからです。

ではでは何故、彼らはサービスの対価を請求してこなかったのでしょうか?
それは、彼らが「値引き」によってしか自らの店の優位性/差別性を提示できなかったからです。

別に、歴代の自転車ショップが手抜きをしてきた、と言いたいわけではありません。
ビジネスにはそもそも、「優位性/差別性を構築しやすいビジネス」と「優位性/差別性を構築しにくいビジネス」が存在します。
その格差は圧倒的なまでに「先天的」なものであり、また、厳然と存在をしています。
後者に属する業界のトッププレイヤーが、前者に属する業界の3流プレイヤーよりはるかに収益性が低い、ということが当たり前のように起こるのです。
そして自転車ショップは、それこそ典型的といってもよいほどの、「優位性/差別性を構築しにくいビジネス」です。

「仕入れて、売る」ことを生業とする自転車ショップがまず出来ることといえば、「自転車そのもの」の価格を下げること。
しかし、自店が値引きすれば、ライバル店も負けじと値引きします。そして「自転車そのもの」の値下げにはあっという間に限界が来ます。
次に値引きの対象とするのは、自転車に付随する「サービス」の価格です。これも「自転車そのもの」と何も変わりません。「サービス」の価格も、あっという間に下限値まで暴落します。
「自転車ショップのサービスはタダ」というのは、果てしないダンピング競争の果てに行き着いた、必然の地平なのです。

もしこの苦しみから逃れたいのであれば、「自転車ショップ業」という荒地から逃げだし、もっと豊かであることを運命づけられている地に移住すればよいのです。
逆に言えば、どうしても「自転車ショップ業」という荒地で生きていきたいのであれば、付帯サービスの対価が得られない、結果、とても薄い利益しか得られないという「不毛」を甘んじて受け入れなければなりません。

この世は、そもそも不公平なのです。
配られたカードで勝負するしかないのです。

どのような業界が「優位性/差別性を構築しやすいorしにくい業界」であり、その決定要因はどのようなモノなのか、という議論は「経営戦略論」の中の「競争戦略」と呼ばれる分野で、とても分厚い検討がなされてきています。興味をお持ちになったかたは、是非お勉強をしてみてください。

それでは、また。

私が有識者から価値あるアドバイスを引き出すことに失敗した3つの原因

こんにちわ。herrlichtです
昨日、私が立ち上げようとしている新規ビジネス領域の有識者に、企画のプレゼンをした上で、改善の方向性についてディスカッションをする、という機会がありました。
とても貴重な機会だったのですが、結論から言うと、あまり実のある時間にすることが出来ませんでした。率直に悔しいですし、もったいないことをした、という気持ちで一杯です。
せっかく手痛い失敗したので、その要因を自分なりに整理したうえで、本エントリで共有をしたいと思います。

あ、失敗例なんてあまり役に立たなさそうだし、読まなくてよいか、と思った方がもしいらっしゃったら、ちょいとお待ちを。

成功例と失敗例、どちらが有用な情報かというと、コレ間違いなく失敗例です。
成功例というのは、数えきれないほど沢山ある必要条件全てが幸運にも上手く満たされることによって成功例となるのですが、そのたくさんある必要条件を網羅的に記述することは極めて困難です。「○○を成功させるための4つの条件」みたいな記事があって、なるほどごもっともと思ってその4条件を満たすよう注力していたら、記事に書かれていなかった5つ目、6つ目の条件を満たせなかったが故に失敗する、なんて例は枚挙に暇がありません。成功例には、あまり再現性が無いのです。
翻って失敗例というのは、沢山ある必要条件の一つでも欠ければ失敗例となるので、仮に失敗の要因を網羅し切れなかったとしても、一部列挙された要因自体の再現性は失われません。つまり、意識をしておけばきちんとご利益がある情報なのです。にも関わらず、人の性なのか、失敗を積極的に公開、共有し要とする人は多くないので、情報の供給自体が多くないんですよね。
そういう意味で、このエントリは私のイチオシです。「有用」かどうかという視点で言えば、過去300以上のブクマを頂いた記事よりも「有用」だと思います。まぁ、「有用」だからといってエントリとして「面白い」かどうかはまた別問題なんですけど...。

前置きが無駄に長くなりました。以下本題。

今回の有識者ディスカッションで私がやらかしたミスは、大きくは以下の3点だったかと思います。

有識者を(無意識のうちに)全知全能だと思い込んでおり、適切な質問項目の厳選を怠っていた。

昨日ディスカッションした有識者が、業界歴が非常に長くある程度名前も知れた方だったこともあり、業界素人の自分にとっては「自分の知らないことを何でも知っている人」であるかのように、半ば無意識のうちに認識をしていました。しかし当たり前ではありますが、有識者も神ならぬ一個人であり、よく知っていることもあれば、わからないこともあります。
例えば、業界の歴史や、既存プレイヤーの実態、新規参入プレイヤーの動向であったり、いわゆる業界慣行といった分野の知識にはとても精通されていました。一方で、自身で当該業界で起業をされた経験がある方ではなかったので、「新規ビジネスの立ち上げ」に関して何かしら特別な知見を持っている方ではありませんでした。
そのような方に、業界知識もある程度関わる話とはいえ「新規ビジネスを立ち上げる上でどのようにしていいか困っていること」に対してアドバイスを求めること自体が間違っていたのですね。で、ピントのズレた質問をするしても、当然先方は上手い回答が出来ず。それはとても気分が悪いことなんだと思います。結果、ディスカッションの空気が重くなってしまい、本来詳しく知っているはずの事柄について投げかけても、反応が鈍くなってしましました。
事前に先方有識者のバックグラウンドを精査して、どのような質問を投げるかを厳選すべきでした。さらに言ってしまえば、それをしっかりと考えていたら、今日の段階ではディスカッションをお願いしなかっただろうと思います。もっとビジネス構築が進んだ段階でお会い出来ていれば、今日の数倍は実のあるディスカッションになったはずであり、とてももったいないことをしたという思いがあります。

有識者が「前置きはいらない派」なのか、「いきなりビジネスの話など無粋派」なのかを見定めようとしなかった。

昨日のディスカッションはあらかじめ時間が1時間と決められていました。お忙しい中時間を確保していただいてありがたいと思う一方で、十二分な時間ではないなと事前の段階で考えていました。そういう焦りもあり、挨拶もそこそこに本題のプレゼンを始めてしまったのですが、後々ディスカッションをしている中で先方のキャラクターが見えてくると、アイスブレイクはしっかりと行っておくべきだったと後悔をしました。
先方は、ビジネスライクな切れ者、というよりかは、人として温かみのある少しシャイな方でした。このような方とは、急がば回れ、まずは焦らず1対1の人間関係を構築することに時間を割いたほうが、最終的にはより多くの収穫を得ることが出来ただろうと思います。
今回その有識者とお会いすることが出来たのは、知人の紹介がきっかけでした。その知人に事前に有識者の人となりを聞いておき、どのようなイントロダクションにすべきかしっかりとシミュレーションしておけば、このようなミスはしなかっただろうと思います。返す返す準備不足でした。

③ディスカッションに入る前までに、前提認識のズレが生じやすいポイントを効果的に潰すことが出来なかった。

企画のプレゼンが終わり、ディスカッションに移行したのち、話が上手く噛み合わないことが何度かありました。その原因は、ディスカッションに移行する事前の段階で、前提認識をすり合わせきれなかった点にあったと思います。今回のディスカッションの場合、特に大きな前提認識のズレが生じていたのは「ビジネスのゴール感」でした。
私は業界の中でもかなりニッチなニーズに特化したサービスを個人で展開しようとしていて、目指す収益規模も決して大きくありませんし、既存のプレイヤーとがっぷり四つで組み合うことも想定していません。ただ、このような姿勢は新規ビジネスの企画という意味ではかなり異質なことです。先方有識者からすれば、どうしたって一般的な新規ビジネス開発/起業のイメージを下敷きにして話をされます。この部分の認識の溝を埋めるのに手間取ったことが、先方の私の能力に対する疑念を引き起こし、ディスカッションを停滞させることに繋がったと考えています。
私としても、自分の「ビジネスのゴール感」を相手としっかりと共有する必要性は事前に認識していましたので、プレゼンの中で端々にメッセージを埋め込んだつもりではいたのですが、それが十分には伝わりませんでした。ディスカッションの前に「改めて、このような前提認識に立ってディスカッションを進めたい」という整理を明示することも考えたのですが、やや傲慢な印象を与えるかなと思い行いませんでした。ただ、議論が空転するくらいであれば(しっかりと表現上のトゲ抜きをした上で)明示をしても良かっただろうと思います。

...こうして振り返ってみても、そもそも難しいディスカッションだったな、という感覚も正直あります。上記の反省をした上で時間を巻き戻したとして、果たしてどれほどあの1時間を改善することが出来るか、あまり自信がありません。
しかし、だからこそ、そんなに難しいことに取り組むからこそ、事前に出来る準備は全てしてから臨むべきであったと思います。

今回は「有識者から新規ビジネス立ち上げのアドバイスを引き出そうとして失敗した」事例を取り上げましたが、別にテーマが新規ビジネスであるとか相手が有識者であるとかに限らず、他人から価値ある情報を引き出したい場合全般に当てはまる失敗要因かと思いますので、何かのご参考にでもなれば幸いです。

今後も失敗ネタは積極的に書いていきたいと思います。
それでは、また。

「挫折の構造」と、それを乗り越えるために持つべき4つのマインドセット

こんにちわ、herrlichtです。今回のエントリは「新たなチャレンジ」について。

私は割と移り気な性格でフットワークも軽いので、今までの人生で色々なことにチャレンジしてきました。

ギター、ダイエット、ランニング、バスリコーダー、水泳、プログラミング、ポーカー、ビリヤード、英語、etc...。

そして、その殆どで初心者期間のあまりのツマラナサに我慢し切れず、挫折を繰り返してきました。上に挙げたチャレンジの中では、成功したのはダイエットだけで、他は全て途中で投げ出しました。挫折の回数ではそうそう人後に落ちないだろうという自負があります。自慢できることでもありませんが。。。

そのような挫折の積み重ねの甲斐(?)もあって、最近では多くの人間が直面する「挫折の構造」がとてもクリアに見えるようになりました。構造の認識がしっかりと出来た故、新しいことに臨む際のマインドセットが洗練され、結果として近頃のチャレンジの継続率は、過去のチャレンジと比較し確かに向上してきたように思います。
以下では、「挫折の構造」が具体的にどのようなものであり、その構造の存在を前提として、決して精神力が強くない私たちはどのようなマインドセットを持つべきかについて、書いていきたいと思います。

挫折の構造

何故人は、新しいことを始めるとほとんどの場合挫折してしまうのか。その答えは、「絶望の壁の二重構造」にあります。

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絶望の壁①:セルフイメージと現実のギャップに絶望

どんなジャンルのチャレンジであっても、「未経験者」から「初心者」までは、ある程度のスピードで移行できます。
ギターを例に挙げると、ギターに1日触っていれば、ドレミファソラシドの音階くらいはスムーズに弾けるようになりますし、1週間続ければ。C,G,Em7といった基礎的なコードは一通り弾けるようになります。ここまでは、自身の進歩がわかりやすく見て取れますし、それ故に楽しい時間です。
ただし、この最初期の楽しい時間こそが、その後の地獄の停滞期を生み出すことになります。
人間の脳に刻まれた生来的な癖として、「あらゆる将来予測を、過去を参考とした直線形で捉えてしまう」というものがあります。「未経験者」から「初心者」への傾きと同程度の傾きで、「初心者」から「中級者」へステップアップできるだろう、と、半ば以上無意識に考えて、期待してしまうのです。
この期待が作用して、停滞期に入ってしばらくもしないうちに、「自分は既に2単位の時間を投下しているのに、実力は未だ1レベルまでしか到達していない。本来なら2レベルくらいには達していても良いはずなのに...やはり俺にはセンスがないのか、それともやり方が根本的に間違っているのか...。」といったように、セルフイメージと現実のギャップに思い悩み始めます。この段階でトレーニングがおっくうになり、投げ出してしまう人も数多くいると思います。これが第一の絶望の壁です。

絶望の壁②:中級者への道のりがあまりに険しいことに気づき絶望

しかし、挫折を繰り返しているうちに、または、中級者の話を聞いているうちに、今自分が陥っている、中々成長を実感できない雌伏の期間というものが、どうも誰にでもあるものである、ということがわかってきます。
人間の成長軌道というものは直線形ではなく、どうも指数関数の形状に近そうだぞ、ということに気づくのです。そして、自分が今いる位置が、実はそこまでふがいないものではない、ということを悟ります。セルフイメージと現実のギャップの解消です。
では、そのギャップを解消することが出来れば、中級者へのクラスチェンジに向けて気分一新、頑張ることが出来るかというと、そんなことはないのです。今まで4単位の時間を投下して3レベルの実力に到達した、と思っていた中級者が、実は6単位もの時間をかけてようやく3レベルに到達していた事実を同時に知らされるのです。ただでさえ中級者との実力差にげんなりしているのに、そのレベルに辿りつくまでの道のりが想像よりもさらに長いものでした、なんてことになったら、そこでまた心がポッキリ折れても仕方がありません。これが第二の絶望の壁です。

持つべきマインドセット

上で見てきたように、「絶望の壁の二重構造」はかなり凶悪です。正直言って、マッチョならざる一般人の私たちが、この構造の突破率を有意に向上させることが出来るような手法は存在しないと思います。
そうであるとするならば、どのようなマインドセットで新たなるチャレンジに臨めば良いのでしょうか。私が常日頃意識していることをまとめると、以下の4点になります。

  1. 「絶望の壁の二重構造」の凶悪さに鑑みるに、チャレンジの打率は1割でもあれば御の字。
  2. そもそも、挫折するようなチャレンジは自分に向いているチャレンジではないし、重要なチャレンジでも無い。
  3. であるからして、とりあえず打席を増やすことを重視する。色々と手を出してみる。
  4. もしも上手くいったら自分を褒め倒し、予想通り挫折しても一切自分を責めたりせずに次のチャレンジにGo!

...あまりに享楽主義的に映るでしょうか?

それでは本当に達成しなければならないチャレンジに直面した場合、打てる手はないのか?という点はどうしても気になるところだろうと思います。私も当初は打てる手を探し回りました。が、どうにも見つからないのです。
よく、何か新しいことを始める時は、それを周囲に宣言し、自らにプレッシャーをかけるべき!みたいな言説も目にしますが、個人的には殆どのケースにおいて逆効果だと思います。プレッシャーをかけたところで続かないものは続かないので、この手法はチャレンジに対するハードルを著しく高め、結果打席数を減らすという悪影響を及ぼします。
そこで、求められるのが発想の転換。

「頑張っても達成できなかったチャレンジは、そもそも本当に達成しなければならなかったチャレンジではないのだ。」

その位肩の力を抜いてチャレンジに向き合ったほうが、逆に成功率(継続率)は上がるモノだと、最近実感しています。

挫折を克服するための具体的な処方箋を求めていた人にとっては、肩すかしなエントリになってしまったかもしれません。
私も普段はこういう自己啓発っぽい、精神論めいた話はあまり好きではありません。どちらかというと、多少無理やりにでも具体的なStepに落とし込んだ処方箋を導き出したいタイプです。が、そんな私が珍しく、「精神論も捨てたモノでもないな」と思えたのが、今回話題として取り上げた「新たなチャレンジ」に対する向き合い方です。
すぐに腹落ちしなくても、「まぁそんなものなのかなぁ...」くらいに捉えておいて頂ければ、と思います。

それでは、また。